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石ころコロコロ

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東北紀行 花巻・羅須地人協会

羅須地人協会は花巻農業高等学校の敷地内、
松の林の陰にありました。
1926年、30歳の賢治は4年4ヶ月勤めた花巻農学校を退職、
農民と共に生きる決意をします。
宮沢家別宅だった花巻郊外の家で独居自炊の生活をはじめ、
私塾「羅須地人協会」を開きました。
「下ノ畑」の畑はどこ?・・・ないはずです。
賢治の死後、この建物は一度売却されたのだとか。
農学校の同窓会によって再び買い取られ、
ここ花巻農業高等学校の敷地内に移築復元されたのだそうです。
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建物の裏側に回ったら・・・見つけました。
黒板の「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の文字。
文字が薄くなってきたら農業高校の生徒が
上からなぞるのだそうです。
賢治先生を慕う生徒たちの純粋な気持ちが
伝わってくるようでした。
賢治先生は留守。
入り口に「ご自由にお入り下さい」とあったので、
失礼して入れていただきました。
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室内は一階のみ公開されていて畳の部屋と板の間の教室の
二部屋ありました。
建物は窓を大きくとってあり明るくて開放的な印象。
でも実は、この建物は「羅須地人協会」の前には、
賢治の最高の理解者、妹トシの結核の療養に
使われていたのでした。
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「あめゆじゆとてちてけんじや」
妹が食べたいというあめゆきをとろうとして
曲がった鉄砲玉のようにみぞれの中に飛び出した賢治。
賢治の看病も虚しくトシは死んでしまいます。
最愛の人の死。
賢治は押し入れの中に頭を入れて号泣したといいます。
賢治の悲しみの深さが「永訣の朝」「無声慟哭」から
痛いほど伝わってきます。
そしてその悲しみは「銀河鉄道の夜」に結晶してゆくのでした。
「どこまでもどこまでも一緒に行こう」が泣けます。
叶わぬこととわかっているから、
一緒にいられる時間の尊さを思います。
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教室の間は「羅須地人協会」の名前からは
想像つかないほどの狭さでした。
「農民は芸術家でなければならない」と賢治は説きました。
農民の苦しい生活を明るいものにしようと夢みて、
人々を集めて農業や芸術の講義をしたり、
一緒に楽器の演奏やレコードを聴いていたそうです。
限りなくやさしい賢治の理想と農民たちの厳しい現実。
賢治の孤独な魂が、透き通った光と風の中で
せわしく明滅しているかのようでした。
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教室は賢治先生を中心に三毛猫や窯猫や狸が座っていそうな
童話の中のイメージでした。
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おなじみの賢治先生のシルエット。
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ほんとうの幸いを掴もうとしたやさしい手。
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by ishikoro-b | 2011-12-15 21:55 | 秋の旅 | Comments(0)
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