賢治の母イチの実家に賢治の産湯の井戸が残されていました。
賢治が生まれたのは1896年8月27日。
東北地方を大きな自然災害が襲った時期でした。
賢治が生まれる2ヶ月前には三陸大津波が三陸海岸を襲い、
生後5日目には陸羽大地震が起きて大災害をもたらしました。
母イチは生まれたばかりの賢治をかばうように
上体をおおい、念仏を唱えていたそうです。
身照寺の静かな境内の裏に、賢治が眠っていました。
何も刻まれていないシンプルな賢治のお墓に合掌。
卒塔婆の戒名の中に「賢」の文字がありました。
妹トシと同じ胸の病に倒れ、37歳で亡くなるまで
深い悲しみや苦しみを背負った人々のために
「ほんとうの幸い」を願い、書き行動した賢治。
賢治が生きていたら3.11以降の日本をどうみるのでしょう。
世の中がどんなに変っても、
賢治の根源的で普遍的な作品は、
ずっとこれからも希望の光を放つのだと
改めて感じました。
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